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遺体の葛藤

「天国って、あるのかな」
 ある夜、私は兄に尋ねた。数学の予習をしていた兄は、答えにくそうに顔をしかめ、ノートに目を落とした。そして一言ぽつりとこぼした。
「あったらいいね」
 それは、「ない」と断定されているように、私には聞こえた。
「存在しない、とは言っていないさ」
 私の内心を悟ったのだろうか。兄は眼鏡を片手で上げ、補足した。
「ただ、まだ誰も証明できていないだけだよ」

 高校生の春、友人が死んだ。交通事故だった。
 通夜の席で、仏壇の前に横たわった友人と再会した。初めての身内の死。人間の死体を見るのも初めてだった。目も当てられないようなひしゃげた姿を想像していたが、友人は眠り姫のように穏やかだった。
 触れてもいいか、と、友人のお母さんに尋ねた。お母さんは、涙ながらに許可してくれた。
 死体は冷たい。いつか読んだ漫画にはそう書かれていた。実際触った友人の身体は、確かに冷たかった。温度が低い、というのは少し違う。極限まで生気がない、そんな印象を受けた。
 生気がない。自分の感想に思わず呆れる。生気がないのは当たり前だ。だって、死体なのだから。死体に生気があるはずがない。それは当たり前のことなのに、なぜかこの時、違和感があった。友人が死んでいることが、私にはとても納得のいかないことだった。
 私は唐突に、友人の頬を突いてみたくなった。そうすれば友人は、「やめてよ」と笑いながら、何事もなかったように目を開けると思ったからだ。私は早速、友人の頬に人差し指を当てた。
 まるで、チョコレートに爪を当てるような感触だった。爪でチョコレートに凹みをつけると、一生もとに戻ることはない。凹みは凹みとして、永遠に残る。それはチョコレートには命が宿っていないからだ。チョコレートが、物体だからだ。
 私は慌てて指を離した。冷や汗がどっと背中を濡らした。
 物体なのだ。友人はもう、物体に成り果てたのだ。心臓は腐敗の一途をたどる肉の塊に。見慣れた顔は、頭蓋骨の形をしたカルシウムと、その周りに付着したタンパク質に。私の友人だったものは、記憶も心も欠落した、ただの有機物になったのだ。
 これが、死ぬということなのか。私は漠然と、納得した。

 天国があったらいいね。きっと大昔の人々もそう思ったのだろう。天国はある。前世も来世も存在する。そう思いこんだら、大切な人を失ったときに少しでも救いがあるから。
 嫌な世の中になった。ベットの中で寝返りを打ちながら、思った。科学の発達していない、江戸時代辺りに生まれたかった。仏教やキリスト教を熱心に信仰している家で育ちたかった。
そうしたら私も、少しは苦しみから解放されたかもしれない。少しでも希望を、持てたかもしれない。

 火葬された友人を見て、絶句した。一週間前まで隣にいた彼女はあまりに無惨な姿になっていた。
 火葬されると骨しか残らないことは知っていた。ただ、骨格の面影は残るのだろうと想像していた。だが目の前の友人は、大きめの軽石と、ボロボロに崩れた白い粉の寄せ集めだった。
 ざく。ざく。ざく。
 友人の骨が、骨壺に入れやすいサイズに砕かれる。火葬場の人が、それぞれの骨の部位を説明する。友人の家族がそれを聞いている。私にはそれが、電気店で商品を紹介する店員とお客さんに見えた。
 結局骨壺に収められたのは、ほんの一部の骨だけだった。残りは火葬場の人の方で処分するようだ。

 命は尊い。学校の先生は無垢な私達に教え込む。人間は一人一人がかけがえのない存在なのだ。立派な評論家さんは、盲目的に主張する。
 そんなの、嘘っぱちだ。ざく。ざく。かき氷用の氷みたいに細かくされる友人の遺体。あの作業をしていた人は、実に手慣れていた。きっと何百回も何千回も、毎日毎日繰り返しているからだろう。何の想いもなく淡々と、同じ作業を続けているのだろう。
 あれが「尊い」と言われる命の末路なのだ。あれが、「かけがえのない」一人の死体の扱いなのだ。

「天国なんて、ないよ」
 帰宅し開口一番、私は兄に報告した。天国なんて、あるはずがない。私達は、死んで、ただの物になって、そして焼却処分されるだけだ。私達は、生ゴミと大差ない存在なのだ。
 兄は読んでいた本から顔を上げ、目頭を押さえた。そして、この前の言葉を繰り返した。
「決めつけちゃいけないよ。天国は、まだ誰も証明できていないだけなのだから」
 私は涙を流し、冷笑した。兄の言葉が気休めにしか聞こえなかったのだ。証明されていないは、存在しないと同じだ。馬鹿馬鹿しい夢物語と同じだ。現実逃避と何ら変わりもない。
「知っているかい? 前世の記憶を持っている子ども達は、世界中で何人も記録されていることを」
 兄は少し怒ったように、手元の本を私によこした。それは、オカルトの本だった。
「馬鹿馬鹿しいと思うだろう。夢物語と思うだろう。でも、現実逃避じゃないさ。科学で証明されてなくとも、この事実は確認されているのだから」

 翌日、私は友人の家を訪問した。買ってきたサクラソウを、友人に供えた。合掌する。祈りの言葉は、自然とあふれた。

「あの本、しばらく借りてもいい?」
 私は数学の予習をしている兄に尋ねた。
「いいよ」
 兄はシャーペンを走らせながら、頷いた。それからノートを睨み、頭を掻きながら唸った。
「この問題は、難しいね」
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青春の勇気

  高校生ってやつは、想像していたよりも青春できないものだ。例えば今。八月上旬、小中学生はとっくに夏休みだというのに、私達は地獄の夏期講習中。終業式の後も、相も変わらず教室に閉じこめられている。職員室に向かって叫びたい。こんなんじゃ夏休みなんていらねーよバカヤロー。せめて宿題は減らしてください。
 それはさておき、暑い……。
 午前の授業が終わり、昼休み。燃え盛る太陽に照らされながら、購買に並んでいる。先にトイレに行ってしまったせいで出遅れてしまった。列の進み具合から見ても、かなり待ちそうだ。こんなことなら友人二人も巻き込めばよかった。
「……ん?」
 前の人の後ろ姿に見覚えがある。いや、見覚えがあるどころじゃない。これは絶対、あいつだろう。同じクラスの小太朗だ。
 背中をなぞると小太朗はぎょっと振り返った。
「うーわビビった。なんだお前かよ」
「なんだとはなんだよ。ダッセー」
「スーパーうぜーこいつ」
「あはは」
 しばらく私達は「太陽つえー」だの「腹へったー」だの、まるで意味のない会話を繰り返した。一緒にいて気を張らなくていいのが、小太朗の好きなところだ。
「あ、ところでお前ら夏休み忙しい?」
 小太朗が藪から棒に聞いてくる。
「ん?」
 え、なにそれ。どういうこと。遊び行こうとか、そういうこと? つーかそれ以外考えられない。
 こっそりガッツポーズ……しかけて「待てィ」とストップがかかる。ようやくこいつの真意に気づいたのだ。
「お前『ら』、とは?」
「お前とぉー、シミズさんとぉー、花田サン」
「本命はあえてさらりと流した『花田サン』だろ」
「……そこは気づかないフリしとくのが情けってもんだぜ?」
 やっぱりそうか。こいつ腹立つわー。
 小太朗は私の友だち、花田日向に片想い中だ。要するにこいつは、私をダシにして日向を引っ張ってこようとか企んでるのだろう。
「ヒマだったらなんなんですかー?」
「や、今サトーと裕也の三人で海行く計画しててさ」
「はーん。なんかやらしいこと考えてるわけだ」
「ちげーからな。純粋に青春してーだけだから。そりゃまー男として女の子の水着姿にも興味ありありなわけですが」
「殺すぞ変態」
「健全と呼べよハッハッハァ」
 小太朗はアゴに手を添えてニヤリする。あそー。男子の健全はエロ煩悩全開って意味ですか。大変勉強になりました。死ね。
「や、真面目な話、今年の夏に懸けるしかないと思うわけよ俺」
 小太朗は全然真面目じゃない話を、無駄にキリッとした面で始める。
「もう俺ら高二じゃん? 来年は受験で必死だろうし、今年目一杯青春しとかねーとヤべー気がするわけよ。高校ライフが灰色一色なんて、将来すげー哀しい気持ちになるぜ?」
 ……うむ。
 これにはものすごく共感した。私も小太朗と同じようなことをたまに考えたりしていたから。青春の象徴、高校生。やっぱり何かそれっぽいことしとかないと、大人になって後悔しそう。
 だけど私の口から出たセリフは、「あそー。最高にどうでもいい」という無茶苦茶素っ気ないものだった。
「オイそうゆう冷たいことゆーな。お前だって、本心じゃ男子と一緒にきゃっきゃうふふしたいだろがよ?」
 小太朗が私をズビシと指さす。
 きゃっきゃうふふって――いや私はお前と違ってそんな不純なこと考えてねーよ! と、言い返してやろうと思ったら「あ、やべ。順番来たな」とかわされた。くそっ……。
 きゃっきゃうふふ、か。
 いやいやマジでそんなこと望んでないから。でも正直、海に行こうっていう提案自体は、悪くないとは、思う。こいつの妙な下心さえくっついてなかったら、最高だったんだけど。
「おいユーキ」
 小太朗に名前を呼ばれ、我に返る。後ろ手に何かの袋をぶん投げられたので、慌ててキャッチした。
「……なにこれ」
「は? ツナサンドじゃん?」
 ……いや見りゃわかるけどさ。
「お前それ好きだろ? おごってやんよ」
 ……いやまあ好きだけどさ。
 レジのおばちゃんが何も言わないところを見ると、ちゃんとお会計は済ませたみたいだ。
 しかし、私これが好きって教えたっけ?
「とゆーわけで海のこと聞いといてー!」
「はー? 自分で聞けよ!」
 小太朗はハッハッハと軽く敬礼をし、すたこらさっさと逃げてゆく。しまった。ハメられた。
 遠ざかる小太朗の背中を睨んでると、後ろに並んでる皆さんからプレッシャーがのしかかる。慌てて適当に紙パックジュースを買って、列を抜けた。
 全く、勝手なヤツだ。
 何も面白いことは起こってないのはずなのに、どうしてか顔が緩んでしまう。押しつけられたツナサンドをもてあそびながら、私は教室に戻った。


 いつものように、シミズと日向の三人で机を囲む。海のことを伝えると、シミズは「ふーん」と相変わらず何を考えてるのかわからない返事をし、日向は「へー!」と色素の薄い目を輝かせた。
 小太朗とその他二名が、視界の端で陣取ってる。あそこが小太朗の席だから別に他意はないのだろうが、なんだろう、無性にイラッとする。野郎共、聞き耳を立ててるのがバレバレだ。小せぇー。ほんと小せぇー。気になるならマジで自分らで聞けよっての。
「小太郎君、日向狙いだよね」
 シミズが小声だが、バッサリと切って捨てた。日向も顔を両手で挟んで「だよねー」と悶える。やれやれ。不憫なほど、小太朗の淡い恋心はバレバレだ。そもそもあいつに隠す気ないのが原因だろうけど。
「で、どーなの二人は。海のこと」
 一応こっちも借りがあるから、役目はきっちり果たしておかなきゃね。ツナサンドをもしゃりながら自分に言い聞かせる。
 シミズと日向は揃って親指を立てた。
「私は行ってもいいよ。どうせヒマだし」
「ウチもバッチグー! あ、でもバイトのシフトとかあるから、予定は早めに教えてって言っといてー」
「わかった」
 だってさ。よかったな。さっきからこっちをチラ見している男共に向けて、私も親指を立てた。途端やつらは「うえーい!」とハイタッチしだす。バカばっかりだ。
 安心したのか、野郎共はどたどたと席を立ち始めた。いつものように、グラウンドでサッカーでもしに行くのだろう。すれ違いざま、三バカトリオで一番チャラ男のサトーが、シミズに向かって手を振った。
「じゃ、詳しいことはまた今度ね」
 シミズは箸を止めずに頷いた。 三人組が出てった後、日向が「うふふ」と身をくねらせた。
「サトーはシミズ狙いだよねー?」
「いや。私銀行マンと結婚するのが夢だから」
「いやいや。まだ真の愛を知らないからそんなクールなこと言えるんだよぅ」
 日向がシミズの肩をぺしりと叩いた。なんだよ真の愛って。
 ……いや、ほんと何なんだよ真の愛って。
 いくつもの場面が何度も脳内で反芻される。小太朗君、日向狙いだよね。だよねー。私銀行マンと結婚するのが夢だから。まだ真の愛を知らないからそんなクールなこと言えるんだよぅ。
 いらんことを考えてしまったせいで急に不安になる。日向はどんなつもりで言ったんだろう。まさか、小太朗に「真の愛」的な感情を持ってるってことなのだろうか。それともいつもみたいに、軽いノリで言ってみただけ?
 はいはいどうでもいーどうでもいー。
 無駄な悶々を手で振り払う。考えすぎ考えすぎ。私今日どうかしているわ。うん。
「どうしたの?」
 シミズに突っ込まれ、はっとなる。ぱたぱた動かしていた手を止めた。やばい。完全に自分の世界に入ってた。
 二人が何とも言えない表情で私を見ている。外でアブラゼミがジージー鳴いてる。背中をひんやりした汗が伝い、代わりに顔に熱が溜まった。
「あ、あああ私トイレ行ってくるね?」
 いたたまれなくなって席を立つ。
「さっき行ってなかった? 購買の前に」
 と、シミズ。しまった。そうだった。
「さ、さっきは小で今度は大でして……」
「こりゃー! もっと恥じらいを持ちなさーい!」
 日向が「このバカチンがー!」とチョップを飛ばしてきた。
「う、む……ま、そういうことで」
 なにが「そういうことで」なのか。自分でもわからないまま、片手を上げて背を向ける。もとい、二人から目をそらす。どんな反応をされているのか、とても怖くて見れなかった。
 早くここから離れよう。これ以上醜態をさらしてしまう前に。完全に独り相撲なテンパり方をしながら、私はこそこそと教室から逃げ出した。


 幸いトイレには誰もいなかった。さっそく鏡に映ったアホ面に、頭突きをかます。醜い。自分が醜すぎて直視できない。小さいのはどっちだよ。情けなくて毒づいた。バカばっかりだ。私が一番の大バカだ。
 なに嫉妬しているんだ私は。彼氏でもなんでもない小太朗を、日向にとられるとか、キモいことを勝手に考えている。ちっとも前進せずに、解決策も見つけられないまま苦しむだけで。
 もう一人の自分をぶん殴る。当然、向こうもそっくりそのまま殴ってくる。ぶつかり合う拳と拳。少年漫画みたいな熱い展開になった。真の敵は自分ってか。
 誰かが「ぷっ」と吹き出した。心臓が止まるかと思った。振り返ると、トイレの入り口で、シミズが体をよじり、声を殺して笑っていた。
「青春している人がいるし」
 丁度鏡の死角にいたせいで、気づかなかったようだ。いつから見られていたんだろう。いや、やっぱいい。知りたくない。
「……なんでいるんですか」
 震え声で尋ねる。
「だって明らかに様子がおかしかったから」
 シミズが淡々と答える。そりゃそーだ。あんなギクシャクしながら出ていったら、誰だって気になる。
「青春なんかしてないって。軽く自己嫌悪してただけですよ」
「ふーん」
 シミズは私に隣に並んで蛇口を捻った。
 ……深くは突っ込んでこないんだな。相変わらずドライというか。クールというか。
 シミズは手をじゃばじゃば洗う。「ふーん」以降、何も言ってこない。後をつけて来た割には、本当に無関心のようだ。
「青春って、なんでしょね」
 ネットに入った石鹸をもんでるシミズに聞いてみる。
「なんだろうね」
 質問を質問で返された。
 シミズの両手が泡々になっていてぎょっとなる。もう手っていうか泡の塊しか見えない。この短時間で、どうやったらそんなんなるんだろう。
「ま、私の持論だけど」
 シミズが顔を上げて、ミステリアスな瞳で鏡を見つめた。
「青春ってのは、とてもつまらないことに悩んで、一生懸命に頑張って、最後にちょこっと残ったもの」
 シミズは泡だらけの指で、鏡の中の自分に落書きをした。白い線が二本。何を描いたのか、さっぱりわからない。
 シミズは続ける。
「だから終わってしまった後じゃないと、わからないんじゃないかな。おばさんになって、振り返ってみて、『ああ、あれは青春だったんだなあ』って、気づくんだと思う」
 私はこっそり、シミズの後ろに回る。そして吹き出す。
 落書きの正体。それは、ほうれい線だ。鏡に映ったシミズの鼻周りに、白いニセ皺が二本、ぺっとりとくっついていた。
「あんたって、たまにババ臭いこと言うよね」
「それがシミズさんのアイデンティティー」
 シミズは「いえい」と石鹸を洗い流したばかりの手でピースした。それから、鏡に付着した泡をぬぐった。
 ほんの少し、心が軽くなった気がする。ありがとう。お礼を言おうとしたら、シミズがにやっとした。滅多にお見にかかれない、クソ意地悪い笑顔だった。
「私は恋愛経験に疎いけど、ま、相談されたら真摯に対応しますので。だから、元気出しなね」
「なっ……」
 なっ…………なっ……なっ……。
「はあっ!? 何言ってんの!? 何のことだか全っ然わかんないし!」
「わかりやすく説明してほしいの? つまりユーキが小太……」
「わー黙れっ!」
 シャラップ! シミズの口を手を塞ぐ。
 なぜバレた。どうしてバレた。いつバレた。それとも自分では必死に隠してたつもりでも、周囲にはバレバレだったってことなのだろうか。なにそれヤバイ。軽く死にたい。
「大丈夫大丈夫。誰も気づいてないよ。特に小太朗君は」
 ユーキが私の手をひっぺがして教えてくれる。あ、なんだそうなのか。
 いや小太朗はそろそろ気づいてくれてもいいんじゃないか? あーでも、気づいた上で日向を選んだんだったら、それはそれでショックですけどけど。うーわ。腹立てていいのか安心していいのかもの凄く複雑な気分だ。
「……はは」
 急に何もかもがバカバカしくなってきて笑えた。ひどく曖昧なものを欲しがってた自分。悩むことに悩んでた自分。勝手に一人で完結させようとしていた自分。全部がひどく下らないことだって思えた。
「あのさ、シミズ」
 私は勇気を出して、シミズに言った。シミズは「なに?」と楽しそうに後ろ手を組んだ。
「私、好きな人がいるんだよね」
「そ。なら、がんばらないとね」
 私の告白を聞くとシミズは片目を閉じた。
「女の子の恋は格闘技だよ。いやむしろ、殺し合いと言った方がいいかも」
「あんたさっき、恋愛経験に疎いって言ってなかったっけ?」
「そ。だからさっきのは、漫画で読んだイメージ」
「……随分えげつないの読んでるんだな」
「普通の少女漫画だよ」
 マジか。てゆーかシミズが漫画読んでるとこって、いまいち想像できないんですけど。


 実に濃い昼休みだった。たったの数十分の間に、一ヶ月分のイベントがあったように思う。
 あれから小太朗の顔がうまく見れない。いくら友だちとは言え、一時の迷いで自分をさらけ出しすぎた気がする。昼休みのことは当の小太朗は何も知らないはずなのに、何か気まずい。いや、気恥ずかしいのほうが正しいか。
 ……マジ重いわー。
 放課後、自動販売機の前で鬱になる。何となく一人になりたかったので、二人には先に帰ってもらった。でも一人になると、余計なことばかり考えて、逆効果だったかもしれない。
「うーん」
 ズラッと並ぶ飲み物を前に、悩んだ。「がんばれ」とシミズは言ってくれた。でも、具体的にどうがんばればいいのか、全然わからないでいた。
「よー。お前何やってんだよそんなとこで。端から見ててかなり面白れーぞ」
 ……うわ。
 どきりとする。出た。小太朗だ。なんか昼休みと全く同じことやってんな、私。一人でブルーになり、不意打ちにビックリの繰り返しだ。
「あんたこそ何やってんの? 部活は?」
 何事もなかった振りをして、小太朗に聞く。この時間、普段ならもう、こいつは野球部に行ってるはず。
「やー。水筒空っぽになってんのにギリギリ気づいてさー。マジあぶねーわ。もう少しで脱水死するとこだった」
「ふーん」
 何だよ脱水死って。そんな言葉あんのかよ。
「お前早く買えよ。結構時間押しているからヤベーんだわ」
「何買うの? 桃の天然水?」
「よくわかったな」
 なんだろうね。私も何となく、わかっちゃったよ。
 小銭を入れて、少し高いところにある桃の天然水のボタンを押した。ガコン、と落ちてきたところで、それを拾い上げ小太朗に突き出す。
「ほれ。やる」
「え、マジで? サンキュー。いや、なんで?」
 小太朗が首を捻る。私は気づかれない程度にそっぽを向いた。
「ほら、借りを返すみたいな? ツナサンドの」
「お? あーあれ? あれはほら、海のこと女子に聞いてほしいっていう意味であって――」
「いーから。あれは別にあんたのために聞いてやったってわけじゃないし」
 あんたと日向をくっつける手助けをしてやったんじゃなくて、つまりその、私も単に一緒に海に行きたかったってわけで。
「いーからとっとともらっとけ! それ!」
「おおお前何キレてんだよ! わっけわかんねー!」
「うるさい! さっさと部活行けバーカ!」
 小太朗をドンと突き飛ばす。小太朗は「はー?」と間の抜けた声を上げ、もう一度「わけわかんねー」とぼやいた。
 最低だこいつ。だいたい女の子の気持ちが全然わかんないくせに、彼女ができるとか思っているのが間違いだ。かなりムカついた。なんでムカついてるのか、わかってもらえないところが、またムカついた。
 なのに、私が何を思っているのかなんて全く気づかずに、小太朗はそのまま去っていく。それが我慢できなくて、「ちょっと」と呼び止めた。でも思いの外小さい声しか出なくて、あーこれは気づいてないだろうなーと落ち込んだ。
「なんだよ」
 驚いて声のした方を振り返った。小太朗が仏頂面で、こっちを睨んでいた。
「おーい、さっきも言ったけどあんま時間ないんだって。何か言いたいことがあんなら早く言えよ」
 たまにこいつは、ズルいと思う。普通は気づかないようなことにもさらりと気をつかってくるんだから。
「あんたってさ、私のことどう思ってる?」
 本当はあのまま別れるのが嫌だったから呼び止めただけだ。でもどうしても知りたくなったので、勇気を出して、聞いた。
「……ホワッツ?」
 あまりに予想外な質問だったのだろう。小太朗は目を白黒させてカタコトな英語になった。
「ちょ、待って。話の流れが読めねーんだけど俺」
「いーから教えてよ。急に気になったのよ、私」
 できるだけ悪戯っぽく、できるだけラフに見えるよう、答えを急かす。あいつは動揺している割には、腕を組み、「うーん」と真面目に考えた。
「そうだなー」
 無意識に前進しかけた足を止める。あいつは頭を掻き、悩み、答えを探した。
「まー……気兼ねなく一緒にいれるような……気張らずに話せるような……持ちつ持たれつの関係……つまり……あれだよ」
 ……どれだよ。
 高鳴る胸を押さえる。自動販売機に手を当て、近づきたくてうずうずする気持ちにブレーキをかけた。
 ようやくぴったりの言葉を見つけたのだろう。小太朗は指をパチンと鳴らし、言った。
「あれだ! 親友ってやつじゃね? 俺ら」
 ……親友。がっくりと膝の力が抜けるのを感じた。親友って、なんだそれ、親友って。
「あーありがと。じゃ、がんばれ。部活」
 私は追い払うように、小太朗に手を振った。
「あれえ? 何だよそのぞんざいな態度。せっかく一生懸命に答えたのに、もう少しコメントくれてもいんじゃね?」
「うん。そうだね。がんばれ、部活」
「うーわ殴りてー、こいつ。マジ意味わかんねー」
 小太朗は「じゃーな」と親指を引き下げ、肩を怒らせて背を向けた。
 その背中に、私は「おい」と投げかけた。小太朗は「なんだよ」と五月蠅そうに振り向いた。
「海、楽しみにしているから」
 小太朗は少し間を置いて、「おう」と片手を上げた。
「じゃーね。脱水死すんなよ」
「わかったよ。サンキュー、何度も呼び止めてくれて」
 小太朗は皮肉たっぷりに笑うと、手を振って、今度こそ去っていった。
「……親友かよ」
 よりによって、親友かよ。それってある意味、彼氏彼女から一番遠い関係じゃない。先は長いなあ、と、虚しくなった。虚しくなった。
 でもまあとりあえず、最初の課題は見えた。
「よっと」
 小銭を入れ、自販機のスイッチを押す。まずは女として見てもらえるよう頑張らないとな。その点では、海というのは絶好の機会かもしれない。
 プルタブを開けて、中身を飲み干す。もうすぐ夏期講習も終わり。真の意味での夏休みが来る。あんなにダルかった夏休みが、宿題も苦にならないほど待ち遠しかった。

アメイジングなる悪人用法

  注意一
 以下の文章にはアメイジング・スパイダーマン2、スパイダーマン3のネタバレを含みます。

 注意二
 全て一介の学生の戯れ言ですのでご了承下さい。

 先月(現在二〇一四年六月)アメイジング・スパイダーマン2を見に映画館へ行ったのだが、とてつもない名作だった。勿論映像のCGやスピード感も素晴らしいが、私が特に感動したのはそのストーリーである。あれほど緻密に練られたストーリーは滅多にお目にかかれないのではなかろうか。
 特に何が素晴らしいかと言うと、ヴィランの使い方だ。ヴィランとは、アメリカンコミックス(略してアメコミ)の用語であり、意味はヒーローと敵対する悪役のことである。つまりドラゴンボールのフリーザ様や仮面ライダーのショッカー怪人などがそれに当たる。アメコミ映画に登場するヴィランは、原作となったコミック(アメリカ産のヒーロー映画は、殆どがアメコミを原作としている)から流用されることが多い。ゆえにコアなアメコミファンは新作発表でヴィランの名前が公表されただけで、「ああ次の映画はこんな敵が出るんだな」とほぼ正確に予測できるらしい。
 アメイジング・スパイダーマン2には三体のヴィランが登場する。電気人間エレクトロ、スパイダーマンの宿敵グリーン・ゴブリン、そしてサイ型の強化スーツを身に纏った暴れん坊ライノだ。しかしこの『三体のヴィラン』というのが、映画を見に行く前の私を大いに不安にさせた。私は映画雑誌等で事前にこれらの登場ヴィランに関する情報を得たのだが、その時こう考えたものだ。なんてこった。製作陣は同じ過ちを繰り返すつもりなのか。
 その昔、スパイダーマンシリーズには大失敗した作品があった。サム・ライミ監督のスパイダーマン3だ。スパイダーマン3にもアメイジング・スパイダーマン2と同様に三体のヴィランが出た。砂人間サンドマンと、復讐鬼ニュー・ゴブリン、そして悪のスパイダーマンであるヴェノムだ。彼らは皆、我らがスパイダーマン=ピーター・パーカーと深い因縁で繋がっており、そのため本作はかなり密なエピソードが期待された。しかし、見た後の感想は「なんだこりゃ」である。そう思った理由、それは、エピソードが『密すぎた』せいで、うまく処理しきれていなかったのだ。スパイダーマン3の上映時間は一三九分。この一三九分の間に、映画スタッフは三体のヴィランの誕生と確執を描き、ついでにヒロインとのラブロマンスにケリをつけなければならなかった。ドラゴンボールで例えてみると、コミックス一冊の中でフリーザ様とセルとブウを叩きのめすと同時にヤムチャがベジータにブルマを寝取られるようなものだ。どれほど無茶苦茶な展開かご理解いただけただろうか。結果、スパイダーマン3はお約束主義全開のぐだぐだ映画に陥ってしまい、あまりよい評価を得られなかった。
 スパイダーマン3を見てから、長らく私は『一本の映画にヴィラン三体は多すぎる』と確信していた。だがアメイジング・スパイダーマン2を見てからは考えを改めた。
 ヴィランを三体も出したにもかかわらず、アメイジング・スパイダーマン2は名作であった。それはなぜか。アメイジング・スパイダーマン2のヴィランには、所謂『格差』があったのだ。本作で最も長い時間活躍したヴィランはエレクトロだ。逆に言うと、グリーン・ゴブリンとライノは殆ど顔を出していない。さらに言うと、ライノはラストにちょろっと暴れただけで、五分ほどしかスクリーンに出てなかったのではなかろうか。『三体のヴィラン』と煽っておきながら、実に不平等な扱いである。
 だが、それでいい。だが、それがいい(大事なことなので二度言いました!)。なぜヴィラン達に『格差』が生まれたのか。それは、三体それぞれに異なる役目があてがわれていたからだ。エレクトロには『本作のメインスパイス』としての役割があった。彼は絶妙のタイミングで現れ、映画の中だるみを見事に防いだ。そのお陰で、スパイダーマン3ではねじ込んだようにしか挿入できなかったヒロインとのロマンスが、ごく自然に表現できるだけのリズムと余裕が生じたのだ。グリーン・ゴブリンには『主人公の挫折』と『自作への布石』という二つの役目があった。エレクトロ事件が終結した後、彼は『あるえげつない行為』によってスパイダーマンの心をへし折り、スパイダーマンを一時引退まで追いやる。そしてこれにより物語に大きな起伏と緊張感が生まれた。さらに、その後グリーン・ゴブリンはスパイダーマンに敗れたため収監されるのだが、投獄中、彼は謎の男と共に打倒スパイダーマンを目指す謎のプロジェクトを始動させる。プロジェクト始動のシーンでは、グリーン・ゴブリンの所有する会社の地下倉庫が描写される。ここでチラッと『謎の機械の触手』と『謎の機械の翼』が登場するのだが、この何気ない一コマが、さりげない次回予告となっているのである。『謎の機械の触手』にはスパイダーマン2にも登場したヴィラン、ドクター・オクトパスを、そして『謎の機械の翼』には空飛ぶ怪老人のヴィラン、バルチャーを象徴しており、彼らの今後の参戦を暗示している(これは妄想ではない。実際、原作でドクター・オクトパス、バルチャー、そして今作にも登場したエレクトロと、その他三体のヴィランによって結成された打倒スパイダーマンチーム『シニスター・シックス』を主人公としたスピンオフ映画の制作が既に決定している)。これにより、『次回も大作になるぞ』と観客に大きな期待感を持たせることができている。そして最後にチラッと登場したライノだが、彼は『主人公の復活』と『本作の完結』の役目を担っている。グリーン・ゴブリンのせいで傷心のピーターは、しばらく活動を休止していたのだが、ラストでライノが大暴れしたことによって、スパイダーマンとして完全復活することを決意する。そして彼がライノに立ち向かい、マンホールを使って強烈な一撃を加えようとした瞬間タイトルがバッと浮かび、エンドクレジットに入るのだ。結局ライノが倒されるシーンはない。しかし、ライノ登場のお陰で、「スパイダーマンが帰ってきたッ!」という最高潮の段階で映画は幕を閉じることができたのだ。
 スパイダーマン3の失敗は、三体のヴィラン全てにほぼ対等なポジションを与えたことであろう。サンドマン、ニュー・ゴブリン、ヴェノム、それぞれが主人公スパイダーマンと異なる因縁を持っていた。そして、この映画一本の中でそれぞれの因縁に終止符を打とうとした。結果、話の本筋が三本(ヒロインとのロマンスを加えると四本)平行して存在するというもの凄くカオスなシナリオになってしまい、そのせいでヴィラン達(そしてヒロイン)のエピソードがどこかチープな出来になってしまったのではなかろうか。
 一方、アメイジング・スパイダーマン2にはキャラの扱いを不平等にすることで、物語全体を整理することができていた。大変雑な扱いを受けたライノだが、しかしその役割を全うすることができたがゆえに、作品は素晴らしくドラマティックな完成を迎えることが出来た(欲を言うなら、こんなチョイ役だったなら。公開前のライノ参戦の告知は伏せておいてほしかった。サプライズ登場にしてほしかった……)。逆に、彼がメイン級の活躍をしたならば、本作品は間延びしたぐだぐだなものになっていただろう。スパイダーマン3で明らかになったように、どんなに魅力的なキャラでも、一度に大量投下したら美しくまとまらないのだ。美しくまとめるためには、キャラに『格差』をつけ、はっきりとした役目を与えてあげることが必要とされるのである。それが今回、私がアメイジング・スパイダーマン2から学ばせていただいた大変重要な心得である。

 補足一
 アメイジング・スパイダーマン『2』が出たばかりなのになぜスパイダーマン『3』が存在するのかと混乱された方がいるかもしれない。実はスパイダーマンシリーズには大きく二つの系統がある。一つは、二〇〇二年から二〇〇七の間に公開されたサム・ライミ監督の作品。こちらは『スパイダーマン』『スパイダーマン2』そして『スパイダーマン3』の三部作で完結しており、お分かりの通りタイトルに『アメイジング』がついてない。そしてもう一つが、二〇一二年に第一作が公開され、今もなお展開中の『アメイジング』のつくスパイダーマンシリーズだ。監督はマーク・ウェブ。こちらは先の三部作からキャストもスタッフも一新されており、同じスパイダーマンを主人公とするものの世界観の全く異なる別作品である。

 補足二
 スパイダーマン3を散々けなしてきたが、あの作品も私の大好きなスパイダーマンシリーズの一つだ。映像面では本当に素晴らしい。ニュー・ゴブリン戦では目の回るような空中戦が繰り広げられるし、サンドマンの描写は全部CGにもかかわらず、本当に砂が流れているようだった(スタッフもサンドマンの砂の表現には特にこだわり、もの凄い費用をかけたとパンフレットに書いてあった)。ヴェノムはチンピラみたいな役回りであったが、野獣のような動きと耳まで裂けた口には少年心にグッとくるものがあった。ただ、当時中学生だった私はこの作品にもの凄く期待していただけあって、視聴後、前述のようながっかり感がどっと来たのだ。今回書かせて頂いたのは、その愚痴も混じっている。

 補足三
 冒頭の注意二でも書かせて頂いただが、これは一介の学生の戯れ言である。アメイジング・スパイダーマン2に関する他の人の感想をブログなどから見てみると、ヴィランの扱いの『格差』に疑問を抱いている方も多いようだ。中にはスパイダーマン3の方がよかったと書かれていた方もいたので、やはり映画の感想は人それぞれなのだろう。

無垢なる殺戮者の断罪


  ◇1
 私は犬飼さんに、いつも胸につけているペンダントについて尋ねた。小さな小瓶の中に白い粉が入った珍しい形だったので、気になったのだ。
「これ?」
 犬飼さんはペンダントを手に取り軽く振った。さらさらと小瓶の中で粉が流れた。
「あのね。誰にも言わない? 私とかなめちゃん、二人だけの秘密にしてくれる?」
 私が頷くと、犬飼さんは悪戯っぽく笑い、私の耳元にそっと口を近づけて、ささやいた。
「これはね。骨だよ。犬の頭の骨」
 親友の千鶴が死んだのは、それから一週間後のことだった。

  ◆1
「犬の頭蓋骨を用いた最も代表的な呪術は、やはり西日本に伝わる犬神だろうね。術式は流派によってそれぞれ違うが、効果はどれも似たり寄ったりだ」
 私のアルバイトしてるお店、『占いの館』の店長は膝の上で黒猫を撫でながら教えてくれた。
「呪術というものは過激な演出が多いが、犬神もその例に漏れない。どの流派の術式にも共通して見られるのは、飢えた犬の首を、切断すること。異なるのはいかに犬を飢えさせるのかという過程と、首の切断後どのような処置をとるかの二点だ」
 おぞましい話に身震いする。
 そこで私は、ふと疑問に思った。
 効果はどれも似たりよったり、と店長は言った。ではその犬神の効果とは、一体どのようなものなのだろうか。
「なに? どんな効果か知りたい? 君も物好きだな」
 店長は手を休め、私に目をやった。
「教えてあげてもいいが、決して憧れるんじゃないよ、甘い言葉ほど、どこかに裏があるものなんだから」
 憧れない、と私が誓うと、店長はやれやれと首を振った。
「言うは易く、行うは難し、か」
 暗意に自分の安直ぶりを嘆かれてる気がして、私は思わず赤面した。
 店長は、もう一度溜め息をついた。
「まあ、憧れるな、というのはちょっと無理な話だろうね。私自身、あれの力に全く羨望を抱いていないとは断言できない」
 店長は店の裏で行われている工事の騒音に顔をしかめた。
 黒猫が床に飛び降り、五メートルほど先に敷かれたクッションまでとたとたと歩き、そこで丸くなった。
 店長は近くに置かれた煙管をくわえ、火をつけた。
「犬神の効果は実に魅力的だ。だから科学主義の現代においても、その名は廃れず残っているのだろう」
 ふー、っと店長は紫煙を吐いた。
「無理とわかっても再度念を押すよ。犬神は魅力的だ。だから憧れてはならない。囚われてはいけない。いいね?」
 煙管を灰皿の上で叩く店長に、私は力強く頷いた。それを見て店長も私に頷き返した。
「よかろう。なら教えてあげよう。犬神の効果、それは――」
 ごくり、と私は生唾を飲み込んだ。
「願望の、成就だよ」

  ◇2
 千鶴が死んだ。親友だったのに。
 お墓の前で、私は泣いた。雨がぽつりぽつりと降り始めていた。千鶴の死因は、交通事故だった。歩道に突っ込んできたダンプに跳ねられて、千鶴は死んでしまった。
「風邪ひいちゃうよ?」
 そんな声が、頭の上から降ってきた。
 傘が差し出される。顔を上げると、犬飼さんがいた。
「だいじょうぶ?」
 犬飼さんは私の顔を覗き込んだ。私は我慢できなくなって。犬飼さんの胸に飛び込んで、わんわん泣いた。犬飼さんはそんな私の頭を撫でて、優しい声で言った。
「だいじょうぶ。今度は私が、かなめちゃんの傍にいてあげるからね」
 雷が光った。犬飼さんのペンダントの小瓶が、きらりと光った気がした。

  ◆2
「願望の成就、と言ったがね。その手段はかなり歪だ。まあ、歪でない呪術なんてものはこの世に存在しえないのだから当然だが」
 店長は煙管をくるりと一回転させ、「たとえば」と続けた。
「犬神使いが学校の成績の向上を願ったとしよう。どうなると思う?」
 私は店長の言っていることがよくわからず、首をかしげた。
 どうなるって? 成績が上がることを願ったのなら、やっぱり頭がよくなるんじゃないだろうか?
「だと思うだろう? それが、甘いと言ってるんだ」
 店長は煙管を私に突き付けた。
「犬神とはその術式からも分かるとおり、餓えが具現化したものだ。ゆえに、そこに理性はない。願望の成就という目的は、本能の赴くままの略奪によって達成されることなる」
 私がよくわからないでいると、店長は「つまりだね」と続けた。
「もしも犬神使いが成績の向上を願った場合、犬神は、術者よりも成績のいい者を、全て殺戮してしまおうと動くんだよ」
 そして店長は意地悪そうに笑った。
「すると術者の頭がぱーのままでも、相対的に成績は上がるだろう?」

  ◇3
 千鶴が死んで二週間経ったころ、間藤さんが私にこう言った。
「君、あまり犬飼と付き合わないほうがいいよ」
 私がどうしてかと聞くと、間藤さんは複雑そうな顔をして、言った。
「まあ、勘かな」
 間藤さんは、よく勘と言っていろんな人に忠告する。それが結構当たるものだから、彼女には霊感があるんじゃないかという噂もある。
 でも、私は間藤さんの忠告になかなか素直に従えずにいた。
 犬飼さんは今年になってうちの中学校に転入してきた。
いい子なんだけど、犬飼さんは流行に疎いというか、結構変わったことを口にしたりするせいで、クラスのみんなと話が合わなかった。そのせいで彼女は長いこと友だちができず、独りぼっちでいた。
 だから偽善的、と言われるかもしれないけれど、学級委員としても私は彼女を放っておけなかったのだ。
「君はいい人だから私がこれから言うことはなかなか信じてくれないだろうけど」
 と、間藤さんは前置きし、続けた。
「犬飼は異常だよ。具体的にどこが、とは指摘できないけど、彼女は普通じゃない。あの子に付きまとわれたら、君は大切なものを失い続けることになる」
 どうして? と、私は再度尋ねた。すると間籐さんは苦笑しつつ答えた。
「まあ、勘かな」
 それから一週間後、間藤さんは死んだ。雨の日の帰り道、雷に打たれて死んでしまった。

  ◆3
「君はいい子だから『それでも願いがかなうなら最高じゃん』なんて、不道徳的なことは考えないと思うが」
 店長はまた煙管を口にくわえ、煙を吐き出した。
「たとえ『自分以外の人間なんてどうなっても知ったこっちゃない』なんて妄想してしまうぐらい心が廃れてしまっても、やはりこの術は使わないほうがいい。と、いうのはね」
 店長は煙管を灰皿の上に置いた。
「犬神は、血に棲みつくんだ。一度生まれた犬神は術者の子孫代々に受け継がれることになる。末代まで、ずっとだ」
 それから冗談めかして、店長はくすりと笑った。
「だから四国あたりでは犬神使いの家系はモテなかったらしいよ。自分の血を引く者が化け物になるなんて、誰でも避けたいだろうからさ」

  ◇4
 私は、前々から気になっていた犬飼さんのペンダントについて聞いてみた。なぜ犬の骨なのか。なんのためにつけてるのか。そして、どこで手に入れたのか。
「これ? これはね、おばあちゃんの遺品なの。なんで犬の骨なのかは知らないけど、これをつけてたらなんでも願い事が叶うんだって」
 犬飼さんは最後に「あんまり信じてないんだけどね」と付け加えた。
 私は犬飼さんに聞いてみた。
 あなたは、一体何を願ったの?
 すると犬飼さんは、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「私ね。人見知りだし、頭もよくないし、流行とかも、よくわかんなくて、なかなか友だちができなかったの」
 そして犬飼さんは手の平を合わせ、照れながら告白した。
「だから親友っていうのに憧れてたの。一緒に苦しんで、一緒に笑って、一緒にわかりあえるような、そんな友達」
 そんな彼女は、とても無垢に笑った。
 そう。彼女は願っただけ。何も知らずに。何が起きているのかも気づかずに。

  ◆4
 私は店長にありのままを説明した。千鶴の死。間藤さんの死。そして、犬飼さんのペンダント。
「なるほどね。だからやけに興味津々だったわけだ」
 店長はやれやれと首を振った。
「千鶴ちゃんとやらは、君の親友という地位を奪われた。間藤さんは君への干渉力を奪われた。そして犬飼さんがお婆ちゃんの遺品と主張する犬の頭の骨。どれもこれも、疑うのも馬鹿馬鹿しく思えるほど犬神の特徴と合致する」
私は店長に、助けてほしいと訴えた。すると店長は溜息をついた。 
「悪いがそれはできない相談だ。犬神は文字通り、『神』なんだ」
 店長は煙管を灰皿の上に置き、机の上に両手を組んだ。
「バタフライ・エフェクトを知ってるか? 南半球の蝶の羽ばたきが北半球で嵐を起こすように、一見なんの関係性も見られない些細な原因が、巡り巡って大惨事に繋がるという効果だ」
 ががががががががが。
 裏の工事の音が一時的に大きくなる。店長は騒音が止むまでしばらく待った後で、口を開いた。
「犬神にはバタフライ・エフェクトを狙ってを引き起こす力がある。桜の葉を一枚千切るだけで、特定の誰かの首を吹っ飛ばす力がある。一体何がどの因果に繋がるのかなんて、誰にもわからない。こんなもの、神の奇跡と呼ばずになんと言う。前もって手を打とうなんて到底不可能だ」
 ……そんな。
 そうだ。あの小瓶。
 あれを壊せば、この呪いも解けるんじゃ――
「小瓶を壊しても意味ないよ」
 店長は私の考えを見透かし、呆れたように笑った。
「さっきも言っただろう? 犬神は血に棲みつく。本体は犬飼さんの体内に巣くってる。これはどの流派も共通さ。だからペンダントの骨は、ダシの抜けた鶏ガラみたいなものだね。アクセサリ以上の価値は皆無だろう」
 ……じゃあ、じゃあ、
 私は一体どうすればいいのだ。犬神の話が本当なら、千鶴も、間籐さんも、私のせいで死んだことになる。そして、このままでは私は、これからもたくさんの人を殺してしまうことになる。
「手がないわけでもない」
 店長が人差し指を立てた。
 私は店長の言葉に飛びついた。すると店長は、感情の消えた冷たい声で告げた。
「簡単なことだ。犬飼さんを、君の手で殺すんだよ。そうすれば彼女の犬神は術者を失い、自然消滅する」

  ◇◆1
 真夜中。車道のど真ん中を私と犬飼さんは歩いていた。
「夜の散歩なんて、初めて。誘ってくれてありがと」
 犬飼さんはバレエを踊るみたいに、くるりとその場で一回転した。
「こういうの、夢だったんだ。友だちと一緒に家を抜け出すなんて、お話みたいでステキ」
 月光の下で踊る犬飼さんは、お伽噺のお姫さまみたいに、とても無邪気だった。

  ◆5
 そんなの無理だと、私は叫んだ。
 だって、犬飼さんを、人を殺すなんて、そんなの――
「『いけないことだ』とでも、考えているのかい?」
 店長は煙管を右手でくゆらせた。
「まあ、確かに法的には罪だ。だけど考えてみなよ。犬飼さんは、今発覚しているだけでも幼気な少女を二人も殺してるんだ。君の学校に転入してくる前には、それ以上もっとやってるかもしれない。君に命を絶たれたとしても、充分な因果応報さ」
 でも、それでも、
 犬飼さんは犬神のことを知らなかった。彼女は殺したくて殺してるわけじゃないんだ。それなのに、何も知らないのに命を奪われるなんて――
「今度は『理不尽』だとでも考えてるのかな?」
 私は息を呑んだ。
「もう一度言うが、因果応報だよ。無意識ながらにも犬飼さんは何人も人を殺した。その罪は重い」
 でも、だからって犬飼さんは望んで罪を犯したんじゃ――
「わからず屋だな、君は。犬飼さんを放っておいたらこれからも彼女のために人が死ぬ。『何も願望を抱くな』なんて、煩悩まみれの人間に強いるのは不可能だ。他意はなくとも彼女は生きているかぎり、無意識のうちに人を殺すだろう。言うなれば犬飼さんは、存在そのものが罪なのだよ」
 店長は「それともなにか?」と目を細めた。
「君が彼女を押さえてくれるのか? 彼女の願望を一時も気を抜かず満たし続けてやることができるのか? たったの一人も彼女のために死なせない自信が、君にあるとでも言うのか?」
 私は唇を噛みしめた。
「犬飼さんを殺すことは、必要悪だ。誰かが手を汚さない限り、彼女の殺戮は止まらない」
 でも、なんで私が――
 犬飼さんは私の友だちだ。
 殺せだなんて、そんなの、そんなのできるわけないよ!
「いや、君にしかできないんだ。なぜなラっ
 ドシュッ! ガラガラガラガラ!
 ものすごい轟音と共に、店長の後ろの壁が突然破壊された。無骨な鉄骨が店の壁を突き破っている。
 ぽーん、と、店長の首が飛ぶ。鉄骨に吹き飛ばされ、まるでピンボールのように宙を舞う。首を失った身体は、真っ赤な鮮血がスプリンクラーのように噴出しながら、お辞儀をするように、脊髄の覗いた断面をこちらに見せつけるように、ゆっくりと机の上に倒れ伏した。
 裏で工事をしていた人が、大騒ぎしてる。
「やれやれ。こう来たか。仕事が早くてなによりだね」
 死んだはずの店長の声が、後ろから聞こえた。
 がちがちに固くなった首を回すと、さっきまで店長の膝の上にいた黒猫が、クッションの上で身体を舐めていた。付着した血を丁寧に掃除していた。
「見ただろ? 君以外の人間が犬飼さんに害を及ぼそうとすると、こうやって偶然にも命を奪われてしまうんだ」
 黒猫が金色の目を細め、店長の声で、饒舌にしゃべっている。
 呆然とする私に、猫は人差し指(?)の爪を一本にょきりと出して、人が誰かを指さす時のように、突きつけた。
「犬神の唯一の対抗手段は、矛盾点を突くとこだ」
 ……矛盾、点?
「犬飼さんは、君と親友になりたいがために殺戮する。君との絆を深めるために邪魔を排除しようと動く。くどいようだが、彼女の願望の中心には君がいる」
 猫は「だから」と続けた。私が彼女を殺さなければならない理由を、さらりと説明した。
「彼女の願望そのものである君が、彼女の犬神の唯一無二の死角、たった一つの対抗手段なんだよ」
 その時、さっきの衝撃のせいだろうか、壁に掛けられていた日本刀がするりと鞘から抜け、刃を下にして落下した。下には猫の姿をした店長がいる。
 どすり、と落ちた刀身を黒猫はひらりとかわした。
「馬鹿だね。甘いんだよ。それで死ねるわけないだろう」
 猫はちろりと舌を出し、クッションに埋まった日本刀を嘲笑った。それから金色の目を私にまっすぐ向けた。
「事後の処理は心配しなくていい。事が済めば、私が全力で君を護る。君の罪が世に明らかになるようなヘマはしないさ」
 黒猫は大きく伸びをした。そして、壁を見上げた。視線の先には、レースのカーテンが掛かった出窓があった。
「とにもかくも、私は暫くほとぼりが冷めるまでドロンさせていただくよ。ああそれと君、タンスに着替えが入ってるから使うといい。返り血で可愛い服がぐちゃぐちゃだ」
 猫は窓に傍に飛び移ると、前足で器用に鍵を開けた。
 最後に猫は振り返り、私を見てにっと口角を上げた。
「無論、逃げてしまうのも自由だ。その時は、別の誰かに君の宿命が受け継がれるんだろうね」
 そして、黒猫は窓の向こうへ去っていった。

  ◇◆2
「私ね、いつも人に嫌われてた」
 夜道を歩きながら犬飼さんは告白した。彼女は私の少し手前を歩いていた。
「いつもみんなに避けられてた。いつもみんなに悪口言われた。お前なんかいなくなれーって」
 犬飼さんの背中は、小さくて、華奢だった。
 まるで、普通のの女の子みたいに。
「で、気づけば独りぼっちになってた」
 ――独りぼっち。
 思わずぞっとした。吹き飛ばされた店長の首がフラッシュバックする。
 独りぼっち。それは、一体どういう意味だろうか。
 千鶴みたいに、間籐さんみたいに、店長みたいに、片っ端から殺していって、そして、誰もいなくなったのだろうか。
「ねえ。かなめちゃんは、どうして私の友だちになってくれたの? どうして私と一緒にいてくれるの?」
 不意を突かれ、胸がどきりとする。
「私ね。かなめちゃんは、私に同情してくれてるのかと思った」
 ――――――同情。
 心が痛んだ。ああ、わかった。これは、自己嫌悪だ。
 そう。私は犬飼さんに同情のつもりで友だちになった。独りでいる彼女が可哀想に思ったから。
 なんだ。犬飼さんは気づいていたんだ。私は胸の中で冷笑した。なんて偽物なんだろう。なんてまがい物の友情なんだろう。そのせいで千鶴や間籐さんが死んだのだ。自分なんて、地獄に堕ちた方がいい。
「でもね、それがうれしかった」
 犬飼さんは、こちらを向いた。腰に手を回して、にこりと笑った。
 私は、犬飼さんが何を言ってるのかわからなかった。
「独りぼっちの私を気にかけてくれた。私に優しくしてくれた」
 犬飼さんは紅潮した顔で、一生懸命に言った。
「あのね。かなめちゃん。私ね、ずっと伝えたかった。かなめちゃんが好き。大好き。犬飼ましろは、相田かなめちゃんのことが大好きです」
 目の奥がじわりと熱くなる。そんな風に、私を想ってくれていたなんて。私は、自分が恥ずかしい。
 ありがとう。犬飼さん。
 でも私は犬飼さんを……殺さなければ。
 理性が命令する。
 ……殺したくない。
 本能が制止する。
 その時、エンジンの音が道路の向こうから聞こえた。犬飼さんの後ろで、ランプが二つ、だんだん近づいてくる。
「あ、車が来そう。よけないとね」
 犬飼さんははにかみ、私に一つ、問い掛けた。
「ね、かなめちゃん。これからも私と、友だちでいてくれる?」
 私は――その質問には答えず――
 犬飼さんを、突き倒した。
 べしゃり、と犬飼さんは尻もちをついた。信じられないような顔をして、私を見上げた。
 息が、苦しい。肋骨がぎちぎちと肺を締め付ける。
 涙があふれた。
 ランプが近づく。どんどんどんどんこちら近づく。
「かなめ、ちゃん?」
 犬飼さんが不安そうに私を呼んだ。
『かなめ。お早う』
 千鶴の顔を思い出す。
『あの子に付きまとわれたら、君は大切なものを失い続けることになる』
 間籐さんの顔を思い出す。
『言うなれば犬飼さんは、存在そのものが罪なのだよ』
 店長の顔を思い出す。
 千鶴の墓を、間籐さんのお葬式を、店長の死体を、
『犬飼ましろは、相田かなめちゃんが大好きです』
 最後に、犬飼さんの笑顔を思い出した。
 ――駄目だ。
 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! こんなの駄目だ!
「ごめん!」
 私は叫び、犬飼さんを抱きしめた。力一杯、抱きしめた。
「ごめん! ごめんね! 許して!」
 嗚咽が止まらない。それでも私は喉から溢れるままに、謝罪の言葉を繰り返した。
 それでも結論は変わらない。無論、許されるはずがない。やはり私は、これから彼女を殺すのだから。
 ランプが近づく。私たちのことなんて全く気づかず、スピードをそのままにやって来る。
 誰だって、死にたくはない。
 私だって、怖い。
 でもこうするしかないんだ。こうしないと、みんなが死んでしまうから。犬飼さんが、もっと罪を犯してしまうから。

 こうしないと、犬飼さんが一人ぼっちになってしまうから。
 だから私は――犬飼さんと――

「かなめちゃん。痛いよ。車が来ちゃうよ」
 犬飼さんが困ったように言った。それでも私は犬飼さんを離さなかった。
「ごめんね。私のせいで、たくさん辛い思いをさせちゃったね」
 犬飼さんが、私の頭をそっと撫でた。
「ね、かなめちゃん。私ね、すごくうれしいんだよ。赦してくれなくていい。絶対に赦されるわけがない。でも、こんなに、こんなに想ってもらえることが、すごくすごくうれしいんだよ」
 犬飼さんの声は、少し震えていた。私ではない別の誰かが、鼻水をすする音がした。
「ありがとう。かなめちゃん」
 突然目の前が真っ暗になった。よくわからない薄っぺらいものが、顔にまとわりついている。私はびっくりして、反射的に手でそれを振り払った。
 ――あ。
 犬飼さんを、離してしまった。
 犬飼さんは私を突き飛ばした。私は道路の脇に、仰向けになって転んだ。
 犬飼さんは私を見て、涙でぐっしょり濡れた顔で、微笑んだ。
「さよなら」
 待って、と叫ぶ間もなく、ブレーキの音。
 吹き飛ぶ小さな体躯。スリップする乗用車。ドカン、と大きな音を立て、車は近くの木に激突して静止した。若い男の運転手さんが慌てて飛び出してくる。
「だいじょうぶですか!?」
 切羽詰まった声が聞こえる。
 地面についた手の下に、なにかある。どうやら紙みたいだ。恐らくこれが、私の視界を奪ったもの。
『迷い犬を探しています』
 電柱によく貼られているような張り紙だった。風に飛ばされてきたのだろう。それで偶然、本当に偶然、あのタイミングで私の顔に当たったのだろう。
「君、だいじょうぶ!?」
 運転手さんの彼女さんだろうか。きれいな女の人が、私に駆け寄ってきた。
「ケガ、してない!?」
「大変だ! 死んじゃってるよ! どうしよう!?」
 私に手を差し伸べる女の人に、運転手さんは悲痛な声を上げて訴えた。
「とにかく救急車呼んで!」
「これってオレが悪いのかなあ!? 夜中のこんな道を人が歩いてるなんて思わないよ!」
「ぐだぐだ言ってないで早くしろっ!」
 女の人に一喝され、運転手さんは「はい」とポケットの中を探りだした。
 ……そっか。
 ……死んじゃったのか。……犬飼さん。
「あなたのお友達…………ごめんなさい」
 女の人が、顔をくしゃくしゃにしながら謝った。私は、黙って首を振ることしかできなかった。
『ごめんね。私のせいで、たくさん辛い思いをさせちゃったね』
 犬飼さんの言葉を思い出した。二度と聞けない、あの子の声を思い出した。
『赦してくれなくていい。絶対に赦されるわけがない』
 あの子の、最期の言葉。
『ありがとう。かなめちゃん』
『さよなら』
 ああそうか。
 犬飼さん、あなたは本当は――
 気づいてたんだね。苦しんでたんだね。
 私は女の人に寄りかかって、一人、泣いた。
 
 からからと音を立てて、犬飼さんの小瓶が転がる。彼女が願いを込めたそれは、傷一つなく、月の光を浴びてきらきら綺麗にきらめいていた。

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酒と時計と三葉虫

とある酒場での出来事だ。隣で飲んでた女と意気投合し、自己紹介をし合うことになった。
「そうね。ただ名乗るだけじゃ面白くないから」
 女は人差し指を唇に当て、目を細めた。
「ゲームしましょう。お互いの名前を当てるの」
「へえ。いいね」
 とは言うものの、具体的にどんなルールで勝敗を決めるのやら。すると、女が手首にはめた時計をチラつかせた。
「制限時間は五分にしましょう。五分以内に相手の名前を当てることができたら勝ち」
「なるほど。じゃあ僕からも一つ提案だ」
 僕は指を三本びしりと立てた。
「まず、出題者側から三つヒント出すことにしよう」
「いいね。それで? 『まず』って事は、続きがあるんでしょ?」
「ああ。その後、解答者は出題者に質問してもいい。ただし質問はイエスかノーで答えられる形式に限定する。質問回数は、制限時間が許す限りだ」
 女は頬を撫で、しばらく考える素振りを見せた後で、言った。
「それじゃあ簡単すぎるわ」
「いや。難しいね」
 僕は反論した。
「こんな条件でも、僕は君に勝てる自信がある」
「それは、あなたの名前がとても変わってるってことかしら?」
 僕は「ああ」と頷いた。
「この世でたった一つと言ってもいいほど、変わった名前だ」
 女はふふと楽しそうに笑った。
「いいわ。じゃあそれでいきましょう」
 それから真っ赤なマニキュアの塗られた爪を僕の方に向けた。
「あなたが先に出題者ね。自信のほどを見せてちょうだい?」
「いいともさ」
 待ってました。早速僕は彼女にとっておきのヒントを出した。
「第一のヒント、僕の名前は、とても可哀想だ」
 すると女は怪訝そうに眉をひそめた。
「可哀想?」
「ああ。世界の可哀想な名前ランクベスト5には入っている」
「もしかして、『天使』とか? あるいは『悪魔』、『キング』『ファントム』『アブデュル』」
「どれもノー、だね」
 確かに最近そういう妙ちくりんな名前をつけるお父さんお母さんが増えてきてると聞くけど、後半のチョイスはおかしいだろう。さすがにアブデュルはないと思う。
「……続けて」
 女は難しい顔をして頬杖を突いた。
「第二のヒントは、古代生物だ」
「……古代生物?」
 女はさらに険しい顔をした。
「おちょくってるんじゃないでしょうね?」
「至って真面目さ。さらに限定するならば、古生代の生物だね」
 女はふーん? と溜め息に似た相槌を打った。
「もしかして、『ティラノ』とかいう名前?」
「ノー。そしてティラノサウルスは古生代じゃなくて中生代だ」
「知らねーよ。てゆーかなんだ古生代って」
 女は唐突にぞんざいな口調で突っ込みを入れてきた。案外これが彼女の素なのかもしれない。
「恐竜系じゃないよ。恐竜以外の古代生物にちなんだ名前だ」
「……マジで」
 女はぷっと吹き出し、酒の入ったグラスをカラカラ回した。
「確かにそれは、とても可哀想な名前でしょうね」
 ああ。それは間違いない。では最後のヒントにかかろう。
「第三のヒント。名前だけで充分に可哀想だが、名字と組み合わさることでさらに可哀想になことになる」
「へえ。名字が『海野』で名前が『藻屑』みたいな感じ?」
 海野、藻屑。二つ合わせて『海の藻屑』。
「そんな感じさ」
 女はふーん? と苦笑し、米神の辺りをトントンと叩いた。
「とても可哀想な名前で、古代生物にちなんでいて、名字と合わせるとさらに可哀想……」
 女はうーんと腕を組んだ。カチコチと店の壁時計の秒針ばかりが進む。残り1分となると、女はようやく口を開いた。
「アノマロカリス?」
「ノー」
「フズリナ?」
「ノー」
「デスモスチウス」
「ノー……だ」
 そうこうする内に女はお手上げと言いたげに肩をすくめた。
「検討もつかないわ。それって本当に人間の名前なの?」
「……酷い言い様だな」
 まあ、我ながら同感だけど。と、その時、酒場の親父さんが僕たちの話に聞き耳を立てているのに気がついた。
「ああ、じゃあ親父さん。ペンと紙貸してくれないかな」
 折角なので彼に頼んでみる。親父さんはすんなり貸してくれ、僕が一体何を書くのか、身を乗り出して覗きこんだ。
 僕は自分の名前を書き、女に見せた。
「さん……よう……ちゅう……男」
 三葉虫男。それが僕の名前だ。女は腹を抱えて笑いだした。
「は? 何これ? あなたショッカーに改造でもされたの?」
「ちなみに正しい読み方は『みつば・むしお』だぜ」
「むし……お……っ!」
 女はカウンターをバシバシ叩いて喜んだ。
 虫のように地面を這いつくばりながらも強く生きて欲しい。人生で苦労した両親が僕にくれた、ありがたいのか迷惑なのかよくわからないメッセージの込もった名前だ。
 ひとしきり笑い転げた後、女は一呼吸つき、感想を述べた。
「そっか……。確かにこれは、とてもとても可哀想な名前ね」
 その後ぼそりと「虫男くん」と僕の名前を呟き、慌てて顔を背け、ぷっと吹き出した。なんか地味に傷つく。
「じゃあ、次は君が問題を出す番だ」
「ああ。そうね。うん。そうね」
 女は目元の涙を拭った。
「じゃあヒント1。鬼ごっこの果てに殺されそうな名字よ」
 どうだ、とばかりに女が不敵に笑った。
「ふんふん。なるほど、ヒント2は?」
「ヒント2。名前の方は、ある感情と同じ字よ。最も美しくて、最も歪みやすい感情」
 わかった。と、僕は挙手をする。
「はい。虫男くん」
「君の名前は、○○○だな」
 女はひゅうと口笛を吹き、「正解」と言った。

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